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インフラと嗜好品の違い
なぜインフラ企業は儲からないのか?
みんなが使える必要があるからだ。
水道代を値上げすれば、利益率はあがるだろう。しかし、それで水道を使えずに死ぬ人間が出ればどうなるだろう? まあ、問題だ。
つまり、インフラとは、もっともお金を持っていない人間に向けて金額設定をする必要がある。
だから、基本的には儲からない。
そして嗜好品とは、インフラの逆を行く。
いい服は、ブランド物は、なぜ高いのか?
金持ちをターゲットにしているといえばその通りなのだが、これは少し正確ではない。水道の例に当てはめるとすぐに気づくのだが、最低ラインが高いから、利益率も良いのだ。
実は単純な話である。
つまり、さらに踏み込んでいえばこうなる。
農業をしても儲からないと思ったから、サラリーマンになってものを作ろうと考えたとしよう。
そしてサラリーマンとは、トヨタだとしよう。
車産業なら安泰だ、と考えた訳だ。
しかし、最近はトヨタの利益率が落ちてきている。
車が贅沢品から必需品に変化したからだ。
ようするに、車がインフラになったから儲からなくなった、とも言い換えることができる。
必ず必要だから安いものでよく、そうなるとどうしても利益率を圧迫する。
勿論、トヨタだって何もしなかった訳ではない。
ロッキーとライズという車があるのだが、これはダイハツ/トヨタでほぼ同じ設計図を持つ、ほとんど同じ車である(OEMという) しかし、トヨタにはブランドプレミアムが付いているからだろうが、中古車市場では同ランクであればトヨタブランドのライズの方が1割~2割ほど高い。
もっと極端な例を上げてみよう。
ポルシェやフェラーリよりも利益率が高いのは、根本的にこれらのメーカーが未だに「嗜好品」の性質を帯びているからだ。だから、極端に高価であっても、つまりは極端に利益率が高くても許容される。
つまり必需品は、価格競争や社会的な制約を受けやすい。
一方で、嗜好品はブランドや体験によって、原価とは別の価値を価格に反映させやすい。
これこそが、現代でいう「生産性の高さ」の正体に近い。
インフラを嗜好品に変える商売
さて。そうなると人は次にどう考えるのか?
真面目に物を生産しても儲からないのであれば、インフラを嗜好品へと変換するビジネスを始める。
たとえば、安い肉を購入して、調理して味を上げることで「嗜好品」である料理を提供する。
あるいは、もう少し範囲を広げて「焼き肉食べ放題」等でもいいだろう。
これも、実は肉が焼ける速度を考えれば「元をとれる」ことなどほぼない。
宴会などで大多数が席に座れば、網の大きさが変わらない以上、1人当たりの原価は下がる。
原理は、「焼き肉の網」という「焼いた肉」の最終生産工程の生産能力が変わらないからだ。
一人で焼いても、網1枚分しか焼けない。
網1枚分を4人で囲んでも、焼き肉の生産能力は変わらない。しかし、客の支払金は変わらないので、4人で座れば客が焼き肉を生産する能力は、単純に考えれば1/4まで減少することになる。
だが、客はこれに不満を言わない。
当たり前である。掃除が面倒だとか、知り合いと会食したいとか、もっと言えば「飲み会などでその場所が選ばれた」などの理由があるのなら、そもそも「焼いた肉が損か得か」という勘定を持ち込まないからだ。
つまり話を整理すると、この飲食店が販売しているのは「肉を焼いて、食べるという環境と体験」なのだ。
実は焼肉屋という飲食店が、「肉を焼いて儲ける飲食店」ではなくなっている、というのは少し面白い。
※勿論、筆者も某焼き肉チェーン店には頻繁に訪れている。
他にも似たような事例は幾らでもあるのだが、要するに「どれだけ巧妙に嗜好品を売るのか」が、現代で言う所の「正しいビジネスモデル」に変化していることに気がつける。
少し賢く言えば「価格プレミアムを生み出すのか」みたいな表現になる。
このような言葉に変換すれば、一気に大多数の人間にも「生産的な行為」であると理解される。
しかし筆者には、これを「生産的だ」と表現する事が「資本主義の限界」に見える。
飛躍しているように聞こえるだろうか?
飛躍しているように感じること自体には、否定は無い。反論の言葉がないからだ。
勿論、筆者の感性としては飛躍していないことは繰り返しておく。
米価格は何故高くなったのか?
一つ、日本人に身近な話をしてみよう。
なぜ米の価格は値上がりしたのか?
色々と理由はあったわけだが、すばりで言うなら「その値段でしか買えなくなった」からだ。
実際に収穫量が減ったとか、燃料費が上がったとか、値上げ前では安すぎるとか、そういうことも理由ではある。
理由ではあるが、個人的には本質的ではない。
「消費者の手元には、その値段でしか売りませんよ」と言われたから値段が上がったのだ。
簡単に言ってしまえば、米の値段が上がった理由などこれ以上でも以下でもない。
そもそも、なぜ米は安かったのか?
野菜が安い理由は?
分かりきっている。「皆が作っていた」から、これらは安かったのだ。
しかし、現代ではその作り手は減った。
だから高くなった。
そして不満は出るが、それで終わりだ。
なぜなら「自分で作る」という選択肢が消えているからだ。
仮にだが「自分でやった方が安い」何て言えないのがその証拠だ。
焼肉であれば、それが言える。
焼肉食べ放題が1万円といわれると、流石に「自分の家で焼いた方が安い」と感じるだろう。
しかし、米の場合はそうはいかない。
だって、自分で米を作ろうとすれば絶対に「5キロ3000円で生産なんてできない」のが分かり切っているからだ。だから、「安くなるまで買わない」という不買で対抗するしかなくなる。非常に単純な話である。
もう少し直感的に、かつ皮肉を交えてみよう。
「ブルーカラー」などと言って軽く馬鹿にされている肉体作業を伴う仕事なのだが、これを「人間が8時間の生産活動を行える」と、肯定的に受け止める人間がどれだけいるのだろうか?
下水配管を8時間、月曜日~金曜日まで整備するより、オフィスで営業会議をして会社の「利益単価をどうやって上げるのか?」を打合せすることを、「生産性が高い」と表現していないだろうか?
GDPは「値付け能力」になった
人はいつの間にか、GDPの本質を忘れている。
GDPは「どれだけの生産力」を持っているのか指数だったはずだ。
例えば、軍艦を1隻作れるのか、10隻作れるのか。
人の数はどれだけいて、どれぐらいの食料を作り、どれぐらいインフラに金をかけられて、どれぐらいの輸出を行えるのか。
こういうものを表していた数字は、いつからか経済の強さと言われるようになり、いつしかGDPが大きければ生産能力が高い、に言い換えられるようになった。
GDPが大きい=生産能力も大きい、とされている。
これは間違っていないのだが、正しくもない。
GDPの大きさだけで、実際の生産能力は分からない、というだけの話である。
そしてここ5~6年で、対米ドルでの通貨レートが安くなった我が国では、定義的にはGDPが加速度的に減少した、ということになる。そこまで実際の生産能力が小さくなったのだろうか? と聞いてみたい。
2020年には1ドル:100円程度だった通貨は、1ドル160円程度にまで「通貨安」を引き起こしている。
景気は悪くなったと思うのだが、実感レベルではほぼ変わらないと思う。
筆者の実感としては、これが回答だ。
GDPの大きさは生産能力から換金能力へと変化して、今では「値付け能力」というぐらいで呼べばしっくり来る様相だ。
もちろん、たとえばアメリカへ行けば、なんでも手に入るが。それはアメリカが「何でも生産している」から手に入る訳ではなく、何でも置いてあるから、が理由になる。もう少し乱暴に言えば、「ドルであれば、世界中のあらゆるものと交換できる」からとも言える。
GDPは、生産能力の高さではない。
勿論、これは筆者の感性に依存している論調だ。このブログを読んでくれた方が、「GDPの定義」で反論してこない事を祈るしかない。だが「生産能力」とは、「雑な体感」の方が理解しやすい。
トヨタの工場を1つ建設すればインフラ工事から始まり社員の登用が見込めて不動産価格が上がり、自動車生産数が伸びて物資輸送の販売が云々かんぬん… と。
こんなものを語って納得するのは、予算を決める政治家や経営者だけだ。
昨日までダイハツでロッキーを作っていたけど、明日からはトヨタでライズを作ってね。給料は1割上がるらしいぞ。
生産者にとっては、この程度の話で十分に理解できるのだ。
そして1割給料が上がる理由は、既に説明してある。
ダイハツよりも、トヨタのラベリング能力の方が高いからだ。そしてたったそれだけで、GDPは上がる。本当に、不思議な話なのだ。
資本主義は何を競っているのか?
現状、アメリカはもっとも強力な資本主義国家であり続けている。
だが同時に、社会主義と言われていた中国の方が製造業の規模では優位に立ってもいる。
欧州やロシアも似たようなものだ。
それぞれに言い分があり、どちらかが間違っているのではなく「許容の範囲がある」というだけの話と思えばよい。
社会主義と資本主義が対立するのは、ここにある。
資本主義を「社会主義よりもマシ」と定義して邁進してきたこの世界が、いつの間にか「生産能力の過多ではなく、値札のラベリング能力」ばかりを気にするようになった。
良いものを生産するのではなく、「安い物をどうやって高く見せるのか」を競うようになってしまった。
そして、「高く売る」ことをブランドと称し、「生産能力を落とす」ことを生産調整と呼んで堅実だと頷く。
筆者は思うのだが、こういうのは「資本主義的」ではないのではないだろうか、と感じる。
いや、ここは少し突っ込みたい。
つまり過去に正しいと定義された資本主義は、既に死にかけているのではないか? と思う訳だ。
最後に、面白い話を投げておく。
1次ソースがないのだが、ソビエト連邦最後の最高指導者であるミハイル・ゴルバチョフが「日本は最も成功した社会主義国家」と表現したとされている逸話は面白くはある。
実際、日本には「皆保険」がある。大きな政府としての支援がある。
そして確かに、ほんの20年前まで「技術立国」としての影響力もあった。
今はどうだろうか?
栄枯盛衰もあるのだろうが、色々と皮肉な話でもある。