考察11【エルデンリング】秘儀の巻物の秘儀と、マリカが神になる背景を推測【ELDEN RING】

 視点を変えてみよう企画。推測の欲張り詰め合わせセット。

 今回の記事は推測が大半を占めます。なるべくテキストとかセリフを引用したり引っ張ってきているつもりなのですが、手落ちがあれば申し訳なし。

 とりあえず考察するなら、その発想はなかった! て閃きみたいなのは必要だと思う。想像が高まりすぎると、電波受信になっちゃうんですけけども。ただまあ、これってこういう事なんじゃない? て考えるのはすごく好きです。話のタネだったり、分からない部分の納得なんかの補正に筆者の考察を使ってくれるのも、とっても嬉しいです。記事にした甲斐がありますので。

 

 最初にお詫びしておくのですが、気分が乗って書いていたらくっそ長い記事になってしまいました。すみません。次から長くなった場合は上下編で分割するようにします。

 

ミケラとラダーンを改めて考察する

 まず確認だが、DLCにてミケラとラダーンが神と王の関係となり、DLCのラスボスとして登場した。

 そしてミケラが神となるためには、エニル・イリムにある神の門と、何かしらの秘儀と呼ばれる要素が関係があった。

 最後にミケラとラダーンが神と王となるためにはモーグの肉体がおそらく必要だった。これは事実に近い推測(モーグの肉体である必要があったのか、という疑問は残るが、ラダーン本人の肉体では条件を満たしていなかった可能性はある)

 纏めると、エニル・イリムと神の門にて、何かしらの秘儀を行った結果として、ミケラは神となった。ミケラは神となる事でその結果を示しているものの、実は神と呼ばれるための詳細な条件はフレーバーテキストにて明言はされていない。超おおざっぱには語られているが、これはふわっとしすぎているので推測を掘り下げつつ後で語る。

 なので考えてみる。

 おそらく、秘儀を行う場所はエニル・イリムにある神の門である必要がある。これはおそらく場所的な問題だと思われる。こう考える理由はマリカが使用した際の神の門と、ミケラが使用した神の門の状態がかなり違っている点だ。神の門の状態が違っている以上、マリカとミケラが使用した際の神の門の共通点は場所だけの筈だからだ。

 そして神を帰還させるには、王が必要である。これはおそらく魂、もしくは人格的な問題。こう考える理由は、ミケラがラダーンを王と呼んでいるから。そして実際に神と呼ばれる存在になったのは、マリカとミケラの2人しかいない事。画像で見ると分かりやすいので少し後に述べる。

 王の魂には、依り代が必要である。これはおそらく肉体的な問題。こう考える理由は、王であるラダーンの肉体は、根本的な話をすればモーグの物であるからだ。これの深堀りも少し後に述べる。

 

 細かい部分は省くとして、これらの条件をミケラとラダーンに当て嵌めると、以下になる。

 神であるミケラを帰還させるための秘儀は、エニル・イリムにある神の門にて行われた。

 神であるミケラを呼ぶためには、王であるラダーンの魂が必要であった。

 王であるラダーンの魂の依り代には、モーグの肉体が必要だった(未確定)

 

 そしてこれをマリカに当て嵌めると違和感が浮かぶ。

 神であるマリカを帰還させるための秘儀は、エニル・イリムにある神の門にて行われた。(ミケラも同じ秘儀を行った可能性が高い)

 神であるマリカを呼ぶためには、王である〇〇の魂が必要だった。(違和感を感じる。マリカは誰の魂を王と定義して、神として帰還を果たしたのか? ミケラはラダーンが王だった)

 王である〇〇(呼称不明)の魂には、依り代となる□□の肉体が必要だった。(ミケラの場合はモーグの肉体を使用していた。しかしマリカの状況に当て嵌めると王が確認できず、王が不在なので王の依り代も確認できない)

 トレーラームービーにて公開されている、マリカが神になった時の画像。

 マリカの隣には人がいない。ゴッドフレイでもホーラ・ルーでも良いが、少なくともマリカの隣に人影はない。つまりマリカは一人で(王が不在の状況で)神になっているように見える。

 対してミケラが神として帰還を果たした際のムービー。

 こうして意識して見比べると思うのだが、秘儀の巻物に書かれている通り、ミケラが神になる際にはミケラという神に対応した王であるラダーンが居る。

 そしてやはり意識して見ると思うのだが、神となったミケラは透けている。

 肉体という実像を結んでいるのは、神であるミケラではなく王であるラダーンだ。

 というよりも、言葉尻を捉えるように突っ込んでいえば、実のところ実像を結んでいるのはラダーンですらない。「約束の王、ラダーン」という名前のラダーンのそっくりさんである可能性が高いと思っている

 いや、ラダーンだろ、と言われそうなのだが、これについてはミケラ自身が「約束の王、ラダーン」が「最強のデミゴッド、ラダーン」ではないことを認めている。 

 これは「約束の王、ラダーン」のHPが減り、形態移行を行った際のムービーのワンシーンなのだが、ミケラは「やっと、還ってきてくれたのですね」と言っている

 これは言い換えると「この瞬間まで、還ってきていなかった」と同じ意味だ。

 実際、物質的な話をするのであれば「約束の王、ラダーン」はモーグの肉体を使用している。ラダーンのような戦い方をして、ラダーンが使用していた武器や防具(に似せたレプリカの可能性は普通にある)を持っているが、肉体がモーグの物である事実は変化していない

 これは角人の戦士が神降ろしにより神の如き一撃を振るう事が出来るようになったとしても、角人の戦士の肉体が神になった訳ではない事からも言える。肉体が神のような性能を発揮したとしても、あくまでもそれは神の如き力を発揮する人の肉体だ。人の肉体が、神の肉体になったから神の性能を発揮している訳ではない

 なので肉体がモーグの物である「約束の王、ラダーン」は、少なくとも肉体的にはラダーンではなくモーグでなければおかしい事になる。

 そしてその前提があった上で、ならば中身はラダーンだったのかというと、やはりそれも違うと筆者は思っている。上で述べたように、少なくともミケラが「やっと、還ってきてくれた」の発言をするまでデミゴッドのラダーンとは別人であった筈だ。可能性として、中身が居ないというものが最もしっくりくる。ただこれは筆者の推察なので、真偽は不明。

 なんにしてもミケラの発言を読み取るに、少なくとも「約束の王、ラダーン」は最強のデミゴッドと呼ばれた「ラダーン」ではない筈だ。

 HPが減る事で「約束の王ラダーン」はこんな感じに赤いオーラを纏い、重力魔法のせいか戦闘力の向上による不思議力場のせいかは分からないが、大剣が地面に沈んだり、周囲のがれきが浮かび上がったりしている。

 そしてここで、ミケラが先ほどの言葉をかける訳だ。つまり言葉通りに受け取るなら、赤いオーラを纏ったこの瞬間に、ようやく「約束の王、ラダーン」は、「デミゴッド、ラダーン」になった事になる(魂がない器に、魂が入ったと表現するのが筆者的にはしっくりくる)

 約束の王、ラダーンがラダーン本人ではないと仮定をすれば、ボスの初回ムービーでミケラの語りも違った意味に聞こえる。

 ミケラは強き魂が還ってくる、と言っているのだが、これもそのままの意味かもしれない。強き魂とは順当考えればラダーンの事だろう。そうなるとだが、やはりここも「ラダーンの魂は還ってきていない」という意味に見える。

 とにかく「約束の王、ラダーン」と呼称される存在が、この瞬間まで「デミゴッド、ラダーン」ではないと仮定すると、面白い考察ができる。

 筆者はずっと、秘儀の巻物に書かれている秘儀は主人公が神の門にたどり着いた時には、すでに実行されていた物だと思っていた。ラダーン(仮)が居たからだ。しかし秘儀の内容が書かれていない事に気づき、こうして考察していると、自身の考えが間違っている可能性にも気づく。

 「約束の王、ラダーン」のそっくりさんと主人公が戦闘を行う行為そのものが、神を下す秘儀だったという可能性だ。

 以下は「約束の王、ラダーン」の初回ムービーでミケラが語る言葉だ。

 私の刃、そして祭りの英雄よ

 貴方たちの戦いは、ずっと謳われる

 そして約束は果たされ、強き魂が還ってくる

 私の王となるために

 祭りの英雄は主人公の事だろう。では、それに対応する私の刃とは誰の事だろう

 ミケラの刃と語られているのは、本編から一貫してミケラの双子の妹であるデミゴッド、マレニアだ。しかしこの状況において、私の刃がマレニアを指しているとは思えない。というより、状況だけを見て順当に考えるならば、私の刃とは「約束の王、ラダーン」の事だ。何故ならあの場に「私の刃」と呼ばれる存在である、ミケラの味方は「約束の王、ラダーン」しか居ないからだ。消去法でそうなる。

 約束の王ラダーンをモーグが動かしているという可能性も考えたが、アンスバッハに秘儀の巻物を渡した会話が真実であるのであれば、モーグの人格は死んでいると認識していいと思う。

 と言うか、私の刃という言葉がそもそもおかしい。マレニアが「ミケラの刃」を名乗っていたから勘違いを生みそうになるが、本来的に刃に意思や人格はない。包丁が勝手に空を飛んで人に刺さらないのと同じだ。道具に意思はない

 そして非常に都合の良い事に、狭間の地には影の地では見られない、意思や人格がない肉体を動かす技術が存在している。それが傀儡である。そして影の地には、ミケラの事を知っており、加えて本編に登場したセルブス以外で唯一傀儡の技術を扱う事が出来るNPC「大司教、ユミル卿」が居る。そしてこのユミル卿には、ミケラの事を聞く事が出来るのだ。以下がその会話。

 …ミケラ、あの幼き者は感じていました

 自らの出自が、血が、如何に汚れ、狂っているのかを

 悲壮なことです

 それが故に、すべてを捨ててしまおうなどと

 ああ、すべては母の罪だというのに

 筆者のスタンスとして、ユミル卿は信用できない語り手だと思っている。

 だからユミル卿が言っていることは基本的に嘘だと思っているのだが、ユミル卿の言い方が気になる。この言い方では、ユミル卿がミケラを知っているように見える。もう一歩踏み込んで考えるなら、ユミル卿はミケラと会話した事があるように見える

 ユミル卿が嘘をついている可能性も当然あるのだが、もし会話をしていると仮定すると、何を話したのかは非常に気になるが、今回の考察ではノイズにしかならないので置いておく。

 大事なのはユミル卿が、ミケラの目的を知っているような口ぶりだった事だ。

 もしユミル卿がミケラの目的を知っているという仮定があればだが、ユミル卿はかなり昔からミケラの協力者という立ち位置がしっくりと来る。何故なら、ユミル卿はミケラと会話している筈なのに魅了の大ルーンの影響を受けていないからだ。これは大ルーンが壊れても、ユミルの言動が変わらない事から分かる。つまりユミルはミケラと会話した上で、魅了されていないNPCである可能性があるのだ。

 

 まあ何が言いたいのかって話なのだが、要する筆者は「約束の王、ラダーン」というのは、ミケラが使う傀儡の呼称なのではないだろうか? と想像している訳だ

 つまり秘儀とは。

 私(ミケラ)の刃(傀儡)である「約束の王、ラダーン(肉体はモーグ)」と、祭りの英雄である主人公を戦わせる事で、傀儡に「最強のデミゴッド、ラダーン」の魂を下し。

 「最強のデミゴッド、ラダーン」を導として、ミケラが神として帰還する。

 そのような物ではないだろうか?

 いい感じに妄想力が温まってきた。この方向性で、推察を補強していく。

 

 

補強案1:神獣獅子舞と約束の王ラダーンの共通点

 神獣獅子舞とは、人なのか神獣なのか。

 これをまじめに考えると、神獣獅子舞は肉体的には勇人と呼ばれる角人である。そして勇人は外見的には人ではあるのだが、神獣獅子舞の動きは人のようには見えない。

 なら神獣獅子舞は神獣なのかと考えると、これはこれで疑問が浮かぶ。何故なら神獣獅子舞とは、人が神獣の真似をするという文化の延長にあるからだ。以下防具「神獣の頭」のテキスト。

 獅子舞に用いられる神獣の頭部

 最も優れた勇人が被るとされる祭具

 それはもう、老婆の祈りに応える事はない

 神降ろしにより嵐の威力を高めるほか

 筋力と技量も高めるが

 雫の聖杯瓶の回復量が減少する

 また正気耐性も下がってしまう

 獅子舞に用いられる神獣の頭部。最も優れた勇人が被るとされる祭具

 それはもう、老婆の祈りに応える事はない。

 神降ろしにより嵐の威力を高めるほか、筋力と技量も高めるが、正気耐性も下がる。

 

 このテキストから読み取れるのは、獅子舞は祭事であった事。またこのテキストにはないが、メスメルの軍勢と戦うために獅子舞は軍事となったと明言されている。そうなると気になるのは、祭事とは何だったのか、という事だ。

 そもそもの話をすれば、ここで語られる祭事は、大前提として軍事に転用できる祭事であったという事実がある。つまり順当に考えるなら、この祭事は戦いの祭りの筈だ。意識して修験者を思い返せば納得もあるのだが、修験者は即身の土地神になるために厳しい修行を行うことで霊性を高めていく存在である。また武器「呪剣士の円刃」のテキストにも似たような記載がある。

 仮面の呪剣士たちの得物

 揺らめく円の黒刃を持つ逆手剣

 その縁は、鋭く尖り、出血をもたらす

 かつてそれは祭具であり

 土地神にならんとする修験者が

 克己の舞踊に用いたという

 この武器もそうなのだが、本来の用途はあくまでも祭具なのだ。そしてそれは戦うために用いられたのではなく、克己の舞踊に用いられていたそうだ。

 

 そして祭りと言えば、エルデンリング本編にて発生するラダーン祭が思い浮かぶ。

 そしてこのラダーン祭りなのだが、祭りと呼ばれてこそいるが、実情は勇者がラダーンに挑む戦闘行為をラダーン祭と呼んでいる。出店を開いてお菓子を買って踊りを踊って豊穣を祈ったり喜んだりするような、所謂収穫祭ではない。ちなみにこれは完全に余談だが、収穫祭という祭りについては風車村ドミヌラ周りで語られているように思っている。そのうち記事にしたいとは思っている。

 話を戻す。

 思えば次々と出てくるのだが、黄金樹の文化にも捧闘という概念がある。これは本編で既に廃れている文化であると同時に、レラーナが捧闘を行う事で黄金樹に二心なしを証明したとされている。以下、武器「カーリアの刺突盾」のテキスト。

 双月の騎士、レラーナは

 これを持ち、ただ一度捧闘を舞った

 黄金樹に二心無きを示すために

 つまり現在の狭間の地では廃れているのだが、黄金の一族(マリカの勢力)にすら闘いを捧げる事で誠意(エニル・イリムでも似た行為が祭事であった可能性を考慮すれば、真摯さを伝える儀式の一種と表現する方がしっくりくるかもしれない)を示すという概念、文化という物があった筈なのだ。

 

 話を神獣獅子舞に戻す。

 つまるところエニル・イリムにて獅子舞と呼ばれた祭事も、闘いを捧げる祭事であった可能性は普通にある。というか、祭事をほとんどタイムラグなしで軍事に転用できる時点で、捧闘やラダーン祭りに近いものであった可能性が非常に高いと思う。

 また「もう、老婆の祈りに応えない」という事は、言い換えると「かつては、老婆の祈りに応えていた」という事になる。祈りに応えるとどのような現象が発生するのかは分からないが、神獣獅子舞の戦闘開始ムービーを見ると条件を満たした肉体があればその肉体を操る魂が下りてきて肉体が消失するまで戦闘を行う事が出来るのではないか? と想像できる。

 そして老婆の祈りに応えていないが、神降ろしの能力は失われていないのが面白い。何故なら獅子舞の頭に宿る、嵐の威力を高めたり、筋力や技量を上昇させる効果は失われていないからだ。

 

 神獣獅子舞について考察を纏めると以下になる。

 1. 獅子舞とは祭事だった。かつ祭事は、軍事転用する事が出来るものだった。

 2. 祭事には祈る存在と、祈られる存在が居た。祈られる側に自我が必要であるのかは不明。

 3. 祈られる存在が身に着けている道具に神降ろしにより能力が宿った場合、祈られた存在と祈った存在が消えても道具に宿った特性は消えない可能性がある。

 

 ミケラとラダーンの戦闘を、記事前半で述べたラダーンの魂を呼び戻すために必要な儀式であった、という仮定で、獅子舞の考察と同じ感じに纏めてみる。

 1. ミケラの傀儡「約束の王、ラダーン」と主人公たちの戦闘は、秘儀であった。

 2. 秘儀により王であるラダーンの魂が降ろされ、ラダーンの魂の依り代には、ミケラの傀儡となったモーグの肉体が使われた。

 3. ラダーンが依り代に宿りさえすれば、ラダーンが消滅しても宿った特性は持続する。

 

 ここで疑問に思うのは、ラダーンをそう都合良くモーグの肉体に降ろす事が出来るのか、という問題だ。しかしこれ、推測で繋げる事は可能だ。というのも、ラダーンは他の死者とは違った特性を持っているからだ。

 それは、ラダーンがデミゴッドである事。

 デミゴッド。半神。つまりデミゴッドとは、半分は神である。そしてエニル・イリムの技術とは神降ろしだ。

 つまり秘儀の巻物に書かれている王の条件とは、デミゴッド(半分が神)である事なのではないだろうか? 

 そもそも死んだ後に魂となって帰還する事それ自体が、普通に考えれば常人には不可能だ。だって死んだら終わりだからだ。死んだから魂だけ降臨しますとか、そういう事ができた存在は多分作中には存在しない。(似たような事なら、エーゴンやベールがやってる気もする)

 そして似たような技術で遺灰の概念があるが、あれはあくまでも遺灰という、形の変わった死体から生前の姿をした霊体を呼び出す技術であり、何もない場所に霊体を召還する技術ではない。以下、アイテム「霊喚びの鈴」のテキストの一部。

 遺灰から、様々な霊体を召喚する鈴

 召喚は基本的にFPを消費する

 つまり遺灰がなければ、霊体を召還できないという事でもある。ぶっちゃけ当然の説明なのだが、これを「約束の王、ラダーン」に当て嵌めると、ミケラが行った秘儀はモーグの遺灰から、ラダーンの霊体を召還したことになる。どう考えても関連性が無さそうなのに、現実問題として実現している。

 

  

補強案2:自身自身を他の存在に投影する技術についての推測

 基本は本編からの推測になる。

 まず自身を投影する技術は大きく分けて二つある。

 一つはデミゴットであるモーゴットとモーグが用いる、本体に限りなく近い分身や幻影の技術。

 モーグは、王都ローデイル地下にある忌み捨ての地下にて、ボス「忌み子、モーグ」として主人公と対峙する事がある。このボスは出血しないので幻影だろうと考えられており、筆者的にはその意見を肯定している。そして少なくともモーグには本体が存在しており、忌み捨ての地下から更に地下に存在する地底遺跡に君臨しているのは間違いない。

  モーゴットは、王都ローデイルにて祝福王モーゴットと名乗り、姿を見せないまま君臨している。そして本体は(おそらく)王都ローデイルの玉座の間から移動してないのだが、ゲーム序盤で訪れるストームヴィル城や、王都ローデイルの膝元であるアルター高原にて「忌み鬼、マルギット」という名で出現する。そしてストームヴィル城の際には倒しても消えるだけなのだが、アルター高原で出現する際には市民の体を媒介に自身の分身を召還するかのような挙動を取る

 

 もう一つは、霊体を残す技法。

 王都ローデイルにて戦闘になる、褪せ人であるゴッドフレイ(ホーラ・ルー)

 そしてカーリアの城館で戦闘になる、親衛騎士ローレッタ。

 親衛騎士ローレッタの出自は色々と考察されているが、少なくともデミゴッドであるなんて記述はないので、デミゴッドではないって事は間違いないだろう。

 

 大きく分けると基本的にこの二つが、自分自身を別の場所に投影する技術になる。

 そしてデミゴッドのモーゴットとモーグは、本当にそこにいるかのような幻影を生み出す事が出来る。モーゴットに至っては会話すら可能。

 そしてデミゴッド以外の二人の幻影は、あくまでも残留思念のような霊体である。見た目的にも、どちらかと言えば遺灰に近い。

 この差は考察に値する気がする。

 

 そして前の項目の繰り返しになってしまうが、ラダーンはデミゴッドである

 モーゴットとモーグの幻影、つまりデミゴッドの幻影だったからこそ、本物のような幻影だったのではないだろうか、と仮定して進める事にする。 

 

 

補強案3:神とデミゴッドの関係性

 そもそもデミゴッドとは何なのだろうか?

 言葉通りに受け取ればデミゴッドの名の通り、半分神である存在の事を指しているのだろう。つまり神と神以外の子という事になる。

 その言葉通りに受け取れば、神であるマリカと人であるゴッドフレイの子はデミゴッドと呼ばれる存在になる。これは良い。

 では神ではないラダゴンと人であるレナラの子は、デミゴッドと呼ばれる存在ではないという事にならないだろうか?

 おお、ラダゴンよ、黄金律の犬よ

 お前はまだ、私ではない。まだ、神ではない

 さあ、共に砕けようぞ!我が半身よ!

 女王の閨に残されている言葉だが、ラダゴンはまだ神ではないとマリカは言っている。つまり再確認でしかないのだが、現在のラダゴンは少なくとも神ではない。ようするに定義上は人である筈なのだ。

 しかしラダゴンとレナラの子であるライカード、ラダーン、ラニは全員がデミゴッドと呼ばれているし、ラニに至っては次の律を掲げる神人として指に選ばれている。つまりこれは、ラニに神になる資格がある、と言っている訳だ。

 この条件に当て嵌めると、デミゴッドと呼ばれる条件は神の血を引く事ではない、と思われる。

 しかしこれではおかしくなる。指読みのエンヤによれば、ボス「接ぎ木のゴドリック」は、マリカの直接の子ではないため血が薄く、故に最も弱いと表現されているが、括りとしてはデミゴッドであると表現されている。以下会話文

 …けれども、あんた、気を付けることだね

 デミゴッドたちは、皆がマリカの直接の子

 ただ接ぎ木のゴドリックだけが、遠い子孫にあたり…

 故に神の血は薄く、最も弱かったのだから

 つまりエンヤの言葉を信じるのであれば、デミゴッドと呼ばれる条件は、あくまでも神であるマリカの血を引いているかどうかである筈だ。神の血は薄く、最も弱く、それでもゴドリックがデミゴッドと呼ばれているのだから。

 しかしその言葉を正としてしまうと、ライカード、ラダーン、ラニはラダゴンとレナラの子なのだから、デミゴッドは全てマリカの子と言っている言葉とぶつかる。

 さて、早速矛盾した。

 つまり神であるマリカの血がなければ、デミゴッドではなく。

 しかし同時に、ラダゴン(少なくとも対外的にはマリカと同一人物であるとは知られていない)とレナラの子もデミゴッドと呼ばれている。

 

 この矛盾をどうにかして解決できないかと考えていて、閃いた。

 マリカの直接の子であるとは言われているが、マリカが産み落とした子供だ、とは言われていないではないか。エンヤの言葉は、あくまでもマリカの血を引いていることと、血の濃さにしか言及していない。

 つまりマリカ(神)の血は、分け与える事が出来たのではないだろうか? 人と神が子供を作ったという意味ではなく、神の血を分け与えるという儀式を経る事で、その儀式を通過した存在を自身の子である、と定義した可能性はないだろうか?

 これならばラダゴンとレナラの子が、後にラダゴンがマリカの夫になる事で神の血を得たので直接の子となったので、マリカの血を引くデミゴッドである、と言えるようになる筈だ。

 屁理屈っぽいが、エンヤの言葉の矛盾をなくそうとすればこれで条件をクリアできる。

 

 そしてデミゴッドと呼ばれる特性を後天的に獲得する事が出来ると仮定するのであれば、デミゴッドに二つの可能性が浮かぶ。

 それはデミゴッドがただの呼称である可能性と、人がデミゴッドになれる可能性だ。

 ただの呼称であるのは問題がない。鬼のように強い人が実際に鬼ではないように、神の血を得た神の如き能力を振るう人の事をデミゴッドと呼んでいる可能性はゼロではないだろう。

 面白いのはもう一つの可能性で、神の血の獲得をしていればデミゴッドと呼ばれる存在になる可能性だ。何故なら神の血がデミゴッドと呼ばれる条件なのだと仮定するのであれば、神の血を盗んだ盗人でもデミゴッドになる事が出来るという事にならないだろうか。

 というか当たり前のように語っていたが、神の血とは、いったい何なのだろうか?

 トレーラームービーにて、マリカがエルデンリングを砕き、ラダゴンがエルデンリングの修復を試みた場面である。薄暗くて分かりにくいものの、左肩から肩甲骨にかけて体が大きく罅割れているにも関わらず、血が一滴も流れていない

 

 シーンが進むにつれて罅割れが酷くなっているが、やはり体からは血は一滴も流れていない。しつこいのだが、個人的には重要。

 この事実があれば、マリカの肉体について二つの可能性が考えられる。

 一つはマリカ(神の肉体)は生物ではない可能性。罅割れたり砕けたりするのは、生物ではなく鉱物の(もっと言えば石の)特徴である。つまり、肉体が作り物である可能性だ。これについては面白い推測を思いついているので、後で詳しく述べる。

 もう一つの可能性は、マリカの血がこの時点で枯れ果てている可能性。これは少し前に述べたように、マリカという神の血を、何らかの方法で他者に与える事が可能であると仮定すれば、ギリギリ言い分として通るんじゃないかと思う。

 とにかく筆者が見逃していれば申し訳ない話なのだが、実はエルデンリングで神の血が描写されたことは一度もないのではないか? という疑惑が浮かぶ。つまりそうなってくると、神の血は赤くない可能性も出てくる

 

 …まあ、筆者は黄金の一族植物人間説を押しているので、マリカの血は黄金樹(琥珀)の雫って可能性を疑っている。ただこれは根拠を提示できなかったので、筆者の妄想ぐらいの物なのだが。

 そしてデミゴッドと呼ばれる条件が実はよく分からない事と異なり、神と呼ばれる条件は実は明確だ。エンヤの会話が以下になる。

 女王マリカは、エルデンリングの宿主その幻視を宿す者

 すなわち神さね

 けれど彼女は、エルデンリングが砕けた後、黄金樹に囚われておる

 神として、律の砕け、その大過の罰としてね

 神とは、エルデンリングの宿主。エルデンリングの幻視を宿す者。

 つまり言い方を変えると、エルデンリングの宿主、エルデンリングの幻視さえ宿してさえいれば。体が砕けようが、ミイラのようになろうが、死んでいるようにしか見えなかろうが、体の状態がどう変化しようと、定義上は神なのだ。

 事実作中のあらゆるキャラクターは、マリカを通じる事で律を敷いている。そしてミケラを除いた誰も、神になったとは言われていない。

 なので、幻視を宿したからミケラは神と呼ばれる存在になったと言える。

 つまり全部ひっくるめて考えると、幻視を宿す(神に成る)ための正規の手順こそが秘儀なのだろう。

 

 

補強案4:マリカと鍛冶術の関係性

 マリカの肉体が作り物である、という仮定から面白い推測が浮かんだ。

 影の地には、鍛冶術と呼ばれる独自の技術がある。武器「串刺し公の槍」のテキストを見るに、この鍛冶術は狭間の地にはない技術なので、影の地特有の技術、もしくは紛失した技術なのだろう。以下「串刺し公の槍」の一部テキスト。

 影の地の鍛冶術により鍛え直されており

 通常、ダッシュ、騎乗の強攻撃で槍を投擲する

 鍛冶術によって鍛えなおされた武器は、武器を投擲してもその武器が手元に戻ってくる。詳しい原理は不明だが、タリスマン「鍛冶術のタリスマン」のテキストにそれっぽい記載がある。

 古い鍛冶ハンマーを象ったタリスマン

 流紋文字が刻まれている

 武器を投擲する攻撃を強化する

 古では、鍛冶とは神事であった

 鍛冶師は、溶鋼に刻まれた皺に文字を見出し

 武器の魂を固着させたという

 つまり鍛冶師は、罅割れに流紋文字を見出す事で、武器の魂を固着させられるのだ。

 何に、武器の魂を固着させたのだろうか? 発生する現象を考えれば、武器を投擲して、投擲した武器が手元に戻ってくる訳なのだから、武器の魂を自分自身の魂に固着させているのだろうと推測できる。

 ここで大事だと思うのは、無機物にも魂はある、と暗示されている部分。つまり、魂を持つ事は生物の特権ではない事が示唆されている。

 つまり無機物の魂を認識し、利用する事が出来るならば、逆の事や、それに近い事はできなかったのだろうか?

 例えばだが、自身の魂を武器の魂に固着させるだとか。

 或いは、人の魂に人の魂を固着させるだとか。

 そういう方向性の技術だ。果たして不可能なのだろうか?

 少なくとも、体も含めて良いのであれば、人と人をくっつける技術は存在している。そしてその技術が狭間の地で(禁忌になっているとはいえ)大っぴらに残っているのが、ラダゴンが完全を目指すために赴いたレアルカリアであるのは、果たして偶然なのだろうか? とりあえず今回の考察ではノイズになるので放置。

 

 もう一つ条件を出してみよう。

 あくまで推測になるのだが、マリカは鍛冶術を収めている。以下、武器「マリカの槌」のテキスト。

 狭間の外、稀人の地で作られたという石槌

 女王マリカが、エルデンリングを砕こうとし

 ラダゴンが、それを修復しようとした得物

 リングが砕けた衝撃で、半ば壊れており

 ルーンの破片が食い込んでいる

 テキストに書かれた狭間の地の外、稀人の地とは、現在の情報で順当に考えれば、影の地の巫女村の事だろう。何故巫女の村で槌が作られたのかと違和感を感じるかもしれないが、これについては「鍛冶術のタリスマン」や「鍛冶床のハンマー」のテキストに記載がある。

 古では、鍛冶とは神事であった。つまり巫女が神事を行う存在であった場合、連鎖的に鍛冶を行える可能性も出てくる。

 そして今回の記事ではこの言い回しをよく使ってしまうのだが、「古では、鍛冶とは神事であった」と表現されているように、これは「今は鍛冶は神事ではない」事と同じ意味でもある。

 何故今は神事で無くなっているのか、という疑問が浮かぶのだが、これは何者かがこの神事を悪用したから神事ではなくなった、と考える事も不可能ではない筈だ。もしくは、鍛冶術を扱う者が居なくなったため、神事としての鍛冶を執り行えなくなった、なんて可能性はどうだろう。

 

 まず当然だが、神事とは神を祭る事だ。もう少し言葉を増やせば、神に関するまつりごとであり、カッコよく言えば儀式の事だ。儀式の内容は多岐に渡るのだが、神に祈りや誓いを立てる、伺いを立てる、これらは言葉の意味的には全て神事と一括りにできる。

 

 そしてここでもう一度、武器「串刺し公の槍」のテキストを確認してみる。

 影の地の鍛冶術により鍛え直されており

 通常、ダッシュ、騎乗の強攻撃で槍を投擲する

 そして、メスメルは影の地で角人の粛清を行っている。

 そして今更だが、メスメルと角人は徹頭徹尾敵対している。粛清のための聖戦を仕掛けた側と、仕掛けられた側なのだから当たり前だ。仲がいい訳がない。

 つまりその状況から考えると、メスメルの武器を影の地で鍛え直した(強化した)鍛冶術は角人の技術ではない可能性がかなり高い。そして鍛冶術で鍛え直しを行えた以上、少なくともメスメルが影の地を訪れたタイミングには鍛冶術を扱う存在が居たという事実でもある。

 そして主人公が影の地を訪れた際には、鍛冶術を扱う存在を見かける事はない。

 つまり鍛冶術を扱う存在は、

 1. 角人と敵対したメスメルとは、敵対していない可能性が高い(メスメルに脅されて鍛冶を行った可能性はある)

 2. 主人公が影の地を訪れた時点で、鍛冶術を扱える人物は存在しない可能性が高い(少なくとも鍛冶技術を扱う存在とは出会わない)

 3. 鍛冶術関連のテキストから、鍛冶術は古い時代では神事であった。つまり鍛冶術を扱う存在は、神事を行う存在であった可能性が高い。

 そしてこの条件を全て満たすのが、角人に悲惨な境遇を強いられ、かつ主人公が訪れた時点で誰もいない、巫女村に住んでいた巫女である。マリカの槌という名の鍛冶の道具が、おそらく巫女村で作られているだろうという事も加味すると、ほぼ間違いない筈だ。

 これらから考えれば、巫女村の巫女は鍛冶術を扱えると考えた方が自然なのだ。

 そしてそうなると、巫女村出身の巫女であるマリカも鍛冶術を扱えると考えた方が自然であるという事になる。そして鍛冶術とは何なのかって話になる訳だが、まあ十中八九鍛冶術とは、流紋文字を刻むことだろうと思う。再度、タリスマン「鍛冶術のタリスマン」のテキストを見てみる。

 古い鍛冶ハンマーを象ったタリスマン

 流紋文字が刻まれている

 武器を投擲する攻撃を強化する

 古では、鍛冶とは神事であった

 鍛冶師は、溶鋼に刻まれた皺に文字を見出し

 武器の魂を固着させたという

 流紋文字とは、溶鋼に刻まれた罅に文字を見出したものと明言されている。

 しかし罅は、狙った形には発生しない。だが流紋文字は、文字と呼ばれるぐらいなのだから規則性がある筈だし、規則性があるのだから書ける人物は書く事が可能の筈だ。要するに再現性があるからこそ、罅ではなく文字と呼ばれている筈だ。

 つまり常人には罅にしか見えない流紋文字を刻む行為こそが、巫女が司った神事としての鍛冶だったのではないだろうかと思う訳だ。

 

 

結論:マリカのレギュレーション違反の推測

 まず大前提としてだが、エニル・イリムの秘儀によって神には成れるものとする。

 その前提のありきだが、ミケラの神化は正規の手順で行われたものであり、マリカの神化は非正規の手順で行われた可能性が高いと筆者は思っている。この前提の上で、今回の記事の最初で語った、ミケラとラダーンについての考察やそれらの補強案を振り返りながら、ミケラとマリカの儀式の違いを比較する。

 まずミケラだが、「約束の王、ラダーン」の事を(おそらく)私の刃と呼んでいる。つまりミケラは、作り物の戦士という武器を持って秘儀に臨んでいる。そして作り物の戦士に、王の魂を降ろす捧闘の祭事のため、敵役としての主人公が必要であった。捧闘の祭事によってに王であるラダーンの魂に導かれる形で、ミケラが神として帰還した。

 

 対してマリカは、私の刃を従えていない。少なくとも確認できる範囲では、マリカは一人で神の門に立っている。つまり作られた戦士を持っていない。作られた戦士が不在なので捧闘の祭事は行えず、祭事が行えないので敵役も不在だ。祭事を行っていないので、王の魂だって帰還していないし、王の魂が帰還していないから神になることだって不可能なはずだ。

 しかしそれでも、マリカは事実として神になっている。つまり考え方を変えると、マリカは何らかの手段で、捧闘の祭事を行う事無く王の魂を降ろし、そこに神としての自身の魂を降ろした事になる。

 マリカが一人で神となるのは可能なのか? 理論を飛躍させれば可能だと思う。

 まず最初に、鍛冶によって製作した作り物の自分の肉体を用意しておき、作り物の肉体に流紋文字を刻みマリカの魂を固着させた。流紋文字は傷痕に偽装して隠した、なんてのはどうだろう。溶鋼の罅割れに見出す文字なのだから、流紋文字を扱える人間でなければ偽装はそう難しくないように思う。

 そして投げた流紋武器が手元に戻ってくるように、マリカが秘儀の過程で実際に死ぬ事で、マリカの魂が肉体の魂に引っ張られて戻って来た、なんてのも言えるかもしれない。

 

 そして皆が死に絶えた後、一人生き返ったマリカは、神となるために必要な要素であった(と思われる)何かを奪った。すなわち、神と定義されるための条件であった幻視を、エニル・イリムで神とされている存在から奪ったのではないだろうか?

 マリカが手を突っ込んだこの場所は、何かしらの死体の目に見える

 幻視って奪えるのかよ、て疑問はある。これについてだが、本編の描写を考えれば多分、奪えるのだと思う。何故ならラニのイベントを進めた際に選択できるエンディング「星の世紀」にて、ラニはマリカの幻視を使用する事で律を敷いている。

 これについてはマリカの幻視をラニが使ったのか、それともラニがマリカの幻視を獲得したのかでひと悶着、もとい熱い議論がありそうだが、ラニが他者の幻視を使用したっぽい事に異論はない筈だ

 ならばラニにできた事がマリカにはできない、なんて理屈もない筈だ。

 

 大体そんな感じで、王と王の依り代が存在しなくても、マリカが幻視を獲得して神に成る事はできるのではないか、と思える。

 ちなみに、このような手順で人から神に成り上がった場合、ミケラのように霊体(に見える半透明の体)で神として地上に降りてくるのではなく、マリカが自分自身の実体を持ったまま階段を上って神に成った、という描写にもある程度の説明はつく。

 ミケラは肉体を捨て、物質的に死に、霊体となったが幻視を新たに宿す事で神となった。

 マリカは肉体を捨てず、物質的に生きており、実像を結んだまま幻視を奪う事で神に成った。故に、マリカは王であり神である、永遠の女王、神マリカとなれる。

 

 大体そんな感じだ。

 推測が多いので詰めが甘い部分もあるが、その辺はタイミングがあれば深掘りしたり再考察を重ねたりして、矛盾点を無くしていきたい。その間に新しい考察も生まれるかもしれないですし。

 とりあえず今回は流石に妄想力が力尽きそう。最後に、幻視について少しだけ考察しておく。

 

 

【オマケ1】幻視とはいったい何なのか

 幻視、という言葉の意味から考察してみる。力尽きかけているので、ざっくりと。

 幻視の意味は簡単で、存在していないものが見える事だ。もうちょっと言葉を付け足せば、実際には存在しない(他人には見えない)のに、まるで存在しているかのように感じる(自分には見えている)という現象の事だ。

 そして、ミケラが神に成った瞬間を振り返ってみる。

 ラダーンが還ってきたのとほぼ同時に、ミケラが神として帰還を果たしている。そして秘儀の巻物曰く、

 神の帰還は王により導かれ

 王の魂には、依り代が求められる

 神である事の条件が幻視を宿す者であると定義するのであれば、以下の過程がしっくりこないだろうか。

 今回の儀式の配役は、王がラダーン(故人)。王役の人形がモーグ(ラダーンそっくりに着飾っている)。王役の人間と戦うのが主人公。観戦者がミケラ。これであると仮定しよう。

 1. ラダーンそっくりのモーグ(人形)が主人公と戦うことにより、「デミゴッド、ラダーン最後の戦い」とでも言うべき演目をミケラが見る。

 2. その演目を見たミケラは、モーグ人形に生前のラダーンを幻視する。つまりミケラは、死んでいる筈のラダーンが人形に宿ったという幻を見る。

 3. ここでミケラの幻視が、他の人。例えば主人公にも見えるようになっていれば、ラダーンは依り代に宿る事で疑似的に復活したことにならないだろうか? そしてこの方法での蘇生が成功するのでれば、ミケラが見る幻は現実に影響を与えられるという事になる。

 そして幻視の名の通り、それはあくまでも見る者の主観に寄る事になる。

 「約束の王、ラダーン」に「若き日のデミゴッド、ラダーン」を見るのか、「動く死体、モーグ」を見るのか、「ミケラの王、ラダーン」を見るのか、それを現実に出力させる能力(もしくは器官)こそが、神が神たる所以なのではないだろうか。

 ミケラは、この儀式を通してミケラの王、ラダーンを見た。

 視座の揺らぎがない客観的事実だけを述べれば、「ミケラの王、ラダーン」などどこにも居ない。

 この肉体は意思なきモーグの死体であり、その死体を現実では既に死んでいるデミゴッドのように見た目を変え、装備品を着せただけの存在でしかない。

 しかし見る人が見れば、若き姿で復活した最強のデミゴッドにも見える訳だ。

 

 まあ、つまりまだまだエルンデンリングは考察できるって事である。

 最後まで読んでくれてありがとう!

  

 

【オマケ2】マリカの色々

 狭間の地にあるマリカ象なのだが、マリカ像は髪の片方が短い。

 これはマリカが大母への供物として捧げたからだ。これについてはDLCにて登場したタリスマン「黄金の編み髪」のテキストで明言されれている。

 しかし疑問なのだが、それって何時の話だろうか?

 正確な時間軸や時系列こそ分からないもの、マリカが狭間の地でこの像を作らせた時期から見た場合、結構な昔だとは思う。なのに髪は短いままだ。

 何故だ。

 捧げたから短いままにしていたって可能性がある。捧げたものは元に戻らないって可能性もある。しかしマリカが自身の魂を、流紋文字を使って肉体に固着させていたと仮定すると、固着させた当時のマリカの姿から変化しなかったのではないか、て想像もできる。

 

 

 

 古では、鍛冶とは神事であった。

 では何故、今は神事ではないのだろうか?

 凄く大雑把に推察すれば、マリカが鍛冶術を悪用したから神事ではなくなった、と仮定すればしっくりは来る。勿論、巫女が居なくなったので鍛冶術が失伝して神事を行えなくなった、という可能性もあるが。この辺は推測が多分に混じるので、もうちょっと情報を開示して欲しい気はする。筆者の読み取る能力が足りない。

 

 

この記事を書いた人 basuma

はじめまして!刺史サーバー6にてプレイ中のバスマ!と申します。編成や戦術を考えるのが好きで、プレイ中に気になったことや普段考えていることなんかを記事にできたらと思います。良かったら感想下さいね!

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