エルデンリングのDLC面白かったです。
ゲームクリアの余韻に浸りつつ、考察でも見てデザートを、と思いました。
そして気付く。
考察ブログが無い。
勿論一つも無いって訳ではないのでが、エルデンリング本編が販売されていた2022年当時は動いてたブログが、悉く活動を停止している事に今更ながらに気が付きました。凄く悲しいです。もう2年も経ってた事実も悲しい。
そして残ってるのは妄想みたいなユーチューブの動画だけ。当然見てない。
そんな感じなので、こうなったら自分で考察発信して活発化させるしかねぇ、と今更になって思い立ちました。そんな感じで書き始めましたので、気軽に見て行ってください。
見てくれる人が居るのか分からないので予防線張る様な注意なんですけど、コメントで喧嘩しないでください。あとあくまでも私はこう思うって考察(あえて悪い言い方をすれば筆者の妄想)の性質をどうしても帯びてしまいます。
なのでこのサイトを見て納得したとか面白かったと思ってくれるのは嬉しいのですが、考察動画や他のサイトでこのブログの事は出さず、自分のイメージを広げる感じでひっそり楽しんで欲しいです。
-Contents-
ストーリーを振り返る(妄想力0)
①時間軸は本編と同じ。
②ストーリーの主軸はミケラの痕跡を辿って行く物語と、影の地の歴史であり女王マリカの過去の物語。
③ストーリーは本編と変わらずで、テーマは英雄譚。
公式サイトやトレーラームービー、各種のインタビューなんかの公式公開情報をざっくり纏めるとこんな感じ。この大前提で考察を進めて行こうと思う。
影の地と狭間の地の時系列を振り返る(妄想力1)
認識できる範囲での時系列巡に語る。
①影の地でマリカが神になる。
②神になったマリカが影の地を離れる。
③マリカが訪れた先が狭間の地と呼ばれる場所であり、狭間の地で黄金律が始まる。
④黄金律の時代に、メスメルが影の地にやって来て粛清が発生。
マリカの過去の物語は本編と同様に語られると明言されていたように、各種アイテムのフレーバーテキストやロケーションで察するしかない感じである。しかし本編よりも分かりやすいというか、本編とDLCが相互補完の関係になっているような部分がかなり多かったように思う。
まずロケーションで巫女村というマップが登場。この巫女村がマリカの故郷である事は、巫女村で拾う事が出来るアイテムで明言された。
つまり既に公式から語られていたのだが、影の地こそがマリカの生まれた(或いは育った)故郷なのは確定。同時に故郷である影の地に粛清を願う程度には、マリカが影の地を恨んでいた、と言う隠された下地があった事も明言された。
以下、メスメル防具のテキスト
母の願い、粛清の聖戦のために
メスメルは自らを恐怖の対象とした
嘆きも、呪詛も、ただ私だけを責めればよい
なので恐らくメスメルによる粛清が発生するまでは、影の地を支配していたのは角人であるのは間違いないと思われる。そして角人とはあくまでも角が生えた人をそう呼ぶ呼称であり、種族名ではないと思われる。
何故そう思うのかって根拠だが、角が生えていない角人も存在しているから。
塔の町ベルラートや、各地域にある廃墟で焼かれている角がない人々が居る。もっと分かりやすく言えば、NPCイベントのある角人の名前が角人だからと言うストレートなもの。
NPC角人には、外見的に角は見られない。つまり角が無い角人が居るって事実がある。
角人については詳しく明言されていないが、角の戦士や神獣などの存在を考えると、角があれば上位の存在として扱われている事実は確認できる。
マリカが影の地を憎んでいる理由(妄想力1)
影の地の粛清を聖戦と呼ぶ程度には、マリカは影の地を憎んでいる。
そうなると当然、何故マリカは影の地の住人を憎んでいるのか、と言う部分が疑問に浮かぶ。これについてはボ二村の壷人の風習から察する事が出来る。
そもそもだが、影の地では角が神聖視されている。
つまり角人が持つ常識的に照らし合わせると、混ざった上で洗練される事が正しい事である、と認識されている可能性が高い。これは坩堝薄羽のタリスマンのフレーバーで確認できる。
坩堝薄羽のタリスマン
古い時代、人の身体に生じたという
諸相の混ざった薄羽のタリスマン
バックステップの回避を強化するが
常に、被ダメージも大きくなる
角人たちは、坩堝を神聖視する
その洗練された進化の先に
彼らの角、混じり角があるのだから
書いてる事そのままだが、要するに様々な物が混ざった坩堝の洗練された進化の先に、自身に発現している混じり角がある、と思っている訳だ。一言で言えば、角人の宗教観に則った自己肯定だろう。それは分かる。
これを認識した上での話になるが、筆者はボ二村の風習は胸糞が悪かった。
重ねて胸糞が悪かったと繰り返した上で発現するのだが、坩堝薄羽のタリスマンの言葉を信じるのであれば、ボ二村の風習は角人的には善意で、角が無い巫女を混じり角に進化させようとしている可能性が残る。
さあ、大人しく壷に入りなさい。
そして善き人になりなさい。
お前たちは巫女なのだから。
そのために、生まれてきたのだから。
これはボ二村付近にある幻影のセリフそのままである。
善悪の意味での善い人になれ、と言う意味に見える。しかし少し妄想の風船を膨らませてやれば、別の意味も見えてくる。
善い、とは。動議・道理にかなっている。倫理的・道徳的に正しい、という意味がある。
そしてマリカが神として生まれた経緯も加味してみる。
マリカはエニル・イリムの神の門で生まれた。
DLCラスボス戦では神の門周辺は完全に石灰化して無機物の様になっていたが、トレーラームービーでは神の門は真っ赤な血肉で色付いた生きた人間の集合物であった。
こんなの。
これを作ったのが角人なのか、それともマリカなのかは不明。
トレーラームービーの演出をそのまま素直に信じるのなら、角人がやったと考える方が違和感はない。何故ならこの場所は角人の本拠地である。虐殺を行うならまだしも、虐殺した上で死体を門の形に成形できるのか、という疑問がどうしても残る。更に言えば、エニル・イリムにも同様に間の彫刻がある。これらも石灰化していない当時は生肉状態だったのだとしたら、やはりマリカが行ったというよりはここに住んでいる角人が行ったと考える方が自然だと思う。
つまり角人の視点で考えれば、巫女と死体(と言うよりは様々な血肉の可能性はあるが)は、混ぜ合わせる事によって洗練されて進化する。そしてその方法での進化の極点として、偶然か必然か(おそらく巫女である)マリカが事実として神になってしまった。
つまり(おそらく)独自の価値観を持つ角人の目線で見れば、以下に近い考えが少なくとも彼らの中では成り立ってもおかしくはない。
さあ、大人しく(神になるために)壷に入りなさい。
そして善き(優れた)人になりなさい。
お前たちは巫女(角が無い)なのだから。
そのため(角無したちを伴い進化するため)に、生まれてきたのだから。
このように発言しているようにも見えなくもない。当然だが、筆者のこじつけであるって認識は忘れないで欲しい。
更に言えば1つの事実として、他人の体を己の肉体に繋ぐ技術は狭間の地にも存在する。
接ぎ木のゴドリックが行った接ぎ木である。
そしてある意味当然だが、この接ぎ木という行為は、作中のあらゆるキャラクターから嫌われている。侮蔑されている。禁忌である。しかし同時に、接ぎ木のゴドフロアと言う、ゴドリックの祖先も同じ禁忌を犯している事から、おそらく接ぎ木と言う行為自体は大ルーンが無くとも行う事が出来る行為であることは間違いない。つまり超然的な能力に頼らない、再現性がある技術に分類される筈なのだ。
またこれもこじつけ感があるのだが、ゴドリックは飛竜の事を贄と呼んでいる。つまり様々な物を混ざらせる行為は、核となる側が強い必要はない、と言うことにも聞こえる。
モーゴットやモーグに角があるのは、マリカの子供であるから(妄想力2)
筆者はDLCが出るまで、モーゴットやモーグが忌み子であるのはゴッドフレイの側に理由があると思っていた。何故なら坩堝の騎士は最初の王、ゴッドフレイに仕えていたと明言されていたからだ。
マリカではなくゴッドフレイに仕えていた。
そして原初の黄金樹は、生命の坩堝の力を宿していた。
完全にミスリードに引っかかったと思うし、これは分からないだろ、とも思う。
DLCをやった後であれば逆の感想が出てくる。
坩堝の騎士がゴッドフレイに仕えていたのは、坩堝(もっとざっくり言えば、角人を発生させる可能性がある要素)をマリカが憎んでいたから、という可能性が出てくる。もう少し言えば、角人は許容できなかったが、洗練されていない坩堝であれば許容できたので、ゴッドフレイに仕えるのであれば味方として許容できた可能性がある、と言える。
そしてこれは明言されているのだが、原初の黄金樹と現在の黄金樹は別物だ。
何が違うのかって話だが、これは生命の赤が含まれていたのか、含まれていないのかって違いだ。DLC販売まで、取り除かれたのは死のルーンだと思っていた。
勿論死のルーンは取り除かれた。これは間違いのない事実だ。
しかしDLCの情報を含めると、新しい視点で妄想を膨らませる事が出来る。
つまりマリカが神になった際に発現した原初の黄金樹には、坩堝の要素(角人が神聖視する力)が混ざっていた事実がある。
坩堝の防具には以下のテキストがある。
原初の黄金樹、生命の坩堝の力を宿し
坩堝の諸相の祈祷を強化する
そして坩堝の祈祷には、基本的にこのフレーバーテキストが記述されている。
それは黄金樹の原初の力
坩堝の諸相のひとつである
かつて、生命は混じり合っていた
つまり幾つものフレーバーテキストで繰り返し明言されているが、原初の黄金樹には坩堝の力が混ざっていたのだ。
そしてマリカが神となって、黄金樹は生まれた。幾らかのタイムラグはあると思うのだが、マリカが神となった瞬間と黄金樹が生まれた瞬間は限りなくイコールの可能性が高い。
つまり坩堝の力が混ざってた黄金樹を生み出したマリカは、種族的には肉体に坩堝を生じる角人であった可能性が非常に高い。
そして(おそらく)黄金律を掲げたマリカは死のルーンと共に、自身の中にある角人の要素である坩堝の力を取り除いた。そして取り除き切れなかかったからこそ、モーゴットやモーグなどの忌み子(角人)がマリカの子どもとして生まれたという事なのだろうと想像できる。
マリカとミケラだけが神(妄想力3)
ミケラについての考察は、長くなるので次回以降にミケラの記事で詳しく語る。
今回は記事の通り、マリカ視点で語る。
マリカの設定背景については、DLCにて明かされた設定にて考察のブレイクスルーが幾つも起こったと思う。設定の開示による背景の増加か。
まずラダゴンとはマリカである、という言葉がある。
これは本編にて、ラダゴンとマリカが同一人物であった、と言う謎を解いた際に見る事ができる言葉だ。当然筆者もそのままの意味で捉えていた。
しかしDLCにてミケラが神として帰還した事実により、この言葉が持つ意味が大きく変わった。
まず見て欲しいのは、DLCのラスボスの追憶と交換する事が出来る祈祷「ミケラの光」のテキスト。その一部がこちら。
神として帰還したミケラの力
そう、DLCをプレイするまで考えもしなかった事なのだが。エルデンリングで神と呼ばれている者は、律を敷く存在ではなかったのだ。
いや、少し正しくない。
より正確に言えば、神は律を敷く事も出来るが。生まれたばかり(降り立ったばかり)の神は、掲げるべき律も、大ルーンも何も持っていない。しかしそれでも、神と呼ばれる存在なのだ。事実として大ルーンを捨て、律も掲げておらず、まだ何も成していないラダーンに憑依しただけのミケラを、ゲームテキストは神人ではなく神として扱っている。
この画像。
分かるだろうか。
筆者も勘違いしていた。マリカは大ルーン(黄金の律)を獲得した事により神になったと思っていたのだが、全くの逆だった。
神になったマリカが、大ルーン(と思われるもの)を掲げたのだ。もしかすると、掲げているこれは大ルーンですらないのかもしれない。大ルーンを掲げたとは誰も言っていない。もしかしたらただの金髪だって可能性すらある。
しかし何にしても、マリカが掲げたこれこそが、後にエルデンリングと呼ばれているものの一部なのは間違いない。
ならばこのルーンがエルデンリングになるにためには何が必要なのかと言えば、今の形になるように別の大ルーンを取り込む必要があった可能性が非常に高い。つまりマリカは、大ルーンと呼ばれる物やそれに近い物を誰かから奪う事でエルデンリングを一から作り上げたのではないか、と想像できる。
破線内部の大ルーンについては、ゲーム中にデミゴットを撃破して入手できる。しかしその上部にある、マリカが掲げているUのような部分は入手する事が出来ない。気付いてしまえば、これも新しい発見だったように思う。
ちなみに誰から奪ったのか、という部分はゴッドフレイの遠征先が怪しい。
ゴッドフレイ防具のテキストが以下
黄金樹の始まりは、戦と共にあった
ゴッドフレイは戦場の王であった
巨人戦争、嵐の王との一騎打ち…
そして、好敵手がいなくなった時
王の瞳は色褪せたという
更に祈祷「黄金樹の守り」のテキストの一部
その始まりにおいて、黄金樹の敵は全てだった
数知れぬ戦いと勝利によって、それは律となったのだ
つまるところ、マリカは何も持たない神として降り立ち。
経緯は分からないものの、ゴッドフレイと共に様々な敵に勝利し(何かを奪う事によって)エルデンリングと言う大ルーンを作り上げ、黄金律という法則を狭間の地に強制できる存在になったという考察が可能になる。
つまりマリカが律を掲げるに至った経緯は、本編エンディングにて幻視の器であるマリカの持つエルデンリングを獲得する事によって王となった、ラニや主人公とは根本的な部分で役割への成り立ち方が異なっている可能性が極めて高い。同じなのは戦い、奪ったという部分だけである可能性が高い。
そしてそもそもの話。ラニが主人公の事を「私の王」と言うから勘違いしていたのだが、冷静になって振り返ると、ラニを神であると言っている人物は誰も居ない。ラニは夜の律を歩む、としか明言されていないのだ。
勘違いを生んだ論法としてはこうだ。
夜の律を、ラニの王である主人公と共に歩むから、ラニは神である。
誤認していたのだと、ミケラが神になる事により、ようやく気付かされた。
つまり、ラニは神ではない。もしかすると律を敷けるという意味では神と呼べる能力はあるのかもしれないが、神の一世であるマリカのエルデンリングを引き継いだだけの、言うなれば神の二世なのだ。
あくまでもマリカが作ったエルデンリングを引き継いだ存在である。つまりどれだけ素晴らしくても、どれだけ変化しても、どこまで長く続こうとも、マリカの律から引き継がれたこれは旧律なのだと想像できる。
つまり本編で登場する神はマリカ唯一人であり、正しい意味で同格の新しい神はミケラのみ、と言う発想が浮かぶ。
そしてミケラが主人公の事を「旧律の王」と呼ぶのは、おそらくミケラが掲げようとする律からすると、全ての人間が旧律に所属しているからだとも受け取れる。そもそもデミゴット最強のラダーンを倒し、モーゴットと同格と思われるモーグを下し、大ルーンこそないが影の地の角人勢力を一掃したメスメルを破った時点で主人公こそがラダーンを除く暫定最強なのはミケラ視点で語れば当たり前だ。
唯一障害となり得るのはマレニアだが、彼女は主人公がマリカの律を使ってエルデの王になる事を止める必要が無い(ミケラの律に編入されるため)ため王は目指さないだろう。
マリカとラダゴンの関係性(妄想力4)
ラダゴンとはマリカである。
これは本編で語られた。そして筆者もそうだったが、おそらく多くの人はラダゴンはマリカに作られた人格であると思っていたと思う。もしくはエルデンリング(エルデの獣)の意志のようなものか。
しかしDLCをプレイする事で別の視点が見えてきた。
ミケラが肉体を捨てた事。
モーグの体にラダーンの魂を宿せば、モーグの見た目がラダーンになっていた事。
そして神として帰還したミケラが、ラダーンに憑依していた事。
これらを加味して考えると、ラダゴンはマリカなのは一つの事実なのだが。時系列で言えば、肉体を失ったマリカが肉体を持つラダゴンに憑依しており、ラダゴンの肉体をマリカの見た目に変化させていたのではないか、という発想も浮かぶ。
これについては空の色の所為である可能性が高いのだが、ゲーム中で確認する事が出来るマリカの純粋な金髪と言うよりは赤が混じった金髪に見える。
そしてこれは見る人にもよると思うのだが、上半身が裸なのだが女性的な丸みに欠けているように見える。もっと言えば肩や脇周辺の筋肉の付き方はどちらかと言えば角ばっており、若干ではあるものの男性的に見える。
黄金樹とマリカの肉体の謎(妄想力MAX)
マリカが神になった時、黄金樹は生まれた。
そしてDLCをプレイして、マリカが神として生まれた場所では黄金樹が生まれたようには見えない。しかし黄金樹は、マリカが神として生まれた瞬間に生まれたと言われている。
はて、黄金樹は何処に行ったのだろうか。まさか木に足が生えて、歩いてどっか行った訳ではないだろうし…と、そこまで思考が飛び、ふと気が付いた。
黄金樹の化身とか、歩いてるんじゃないか? 何だったら爛れた樹霊とか、明らかに樹だけど生きてますやん、と。
そしてwikiでマリカの画像を見ていると、マリカの肉体が人ではないように見えてきた。具体的に言えば、樹に見えてきた。
人のミイラと言うよりは、枯れた樹に見える。
更に言うなら、影の地のロケーションである巫女村(マリカの故郷)へ行くためには、ボ二村の近くの象からジェスチャー「母よ」が必要になる。そして「母よ」のジェスチャーが手に入る木像なのだが、巫女と因縁のあるボ二村の近くで入手する事が出来る。
そして「母よ」が手に入る木像には枝が生えている。
普通に考えれば木で作られた木像から、生命力の高い木が成長した、という表現だとは思う。
しかし電波を受信した筆者には、もうこれが生きている木には見えない。こういう呼び名が正しいのか分からないが、こいつ木像じゃなくて木人じゃないのか? て思う訳だ。
つまり非常にこじつけに走ってしまうが、もしかしてマリカの体って植物(もっと言えば木)なんじゃないか? と思った訳だ。
だいたい、ミケラとマレニアがラダゴンとマリカの子(ただ一人の子ども)と言う部分にはずっと違和感を感じていた。
筆者はホモサピエンスだし、おそらく読者の多くもホモサピエンスだと思うのだが。人間的に考えれば、そもそも自分の体が男から女に変わろうが、女から男に変わろうが、一人で子作りは出来ないではないか。
仮に人工授精的な方法で、自分の精子を自分の卵子に受精させる方法があったと仮定しよう。しかしそんな機能を持った存在は作中で明言されていない。もしそんな物が存在すると仮定するとしたら、一番納得できるのは黄金樹が人工授精装置、もしくは出産装置である、という仮定だ。
要するに子どもを産むための行為が性行為だと明言されてはいない。全年齢ゲームなので当然だが、そこに勘違い要素が隠されている気がする訳だ。
例えばレナラの言う「子どもを産む」と言うのは、生まれなき者の大ルーンと琥珀の卵(おそらく黄金樹の力の結晶)を使った生命操作による産み落としである。レナラとラダゴンがホモサピエンス的性行為を行った結果として「子どもを産む」行為ではないのではないか、と思う。こっちは疑問。
例えばしろがね人の産まれるも、性交渉の結果生まれたのではなく魔術的な生命操作(もしくは生命創造)の結果として産まれている。こっちは事実。
ならば何故、黄金の一族(マリカの一族)だけはホモサピエンス的な性交渉の結果としてホモサピエンス的常識の産み方をするのだろうか、と言う話である。そもそもセクシャル的かつメタ的な発言を恐れずに言えば、全身に角がある忌み子をホモサピエンス的概念で「産み落とした」場合、次の子どもはほぼ望めないのではないか、と思う訳だ。
しかしモーゴットもモーグも、マリカの子どもとして見れば比較的最初期に生まれている可能性が高い。少なくともマリカはモーグやモーゴットを産んだ後に、最低でもメスメルとメリナを産んでいると思われる訳だ。
更に言えばマレニアとミケラはラダゴンの事を父であると認識しているが、マリカが母であるという認識は殆どないように思う。逆にメスメル(おそらくメリナも)はマリカが母であると認識しているが、ラダゴンが父であるとは認識していないように思う。少なくともマレニアとミケラは母に言及しておらず、メスメルとメリナは父に言及していない。
つまりこう言い換えることができるのではないか、と筆者は思う訳だ。
ラダゴンが自身の何かを使用して、単身で黄金樹にミケラとマレニアを産ませた。
マリカが自身の何かを使用して、単身で黄金樹にメスメルとメリナを産ませた。
つまりラダゴンに欠けていたのは母方の何かであり、マリカに欠けていたのは父方の何かである、という話だ。いい加減に長くなるので、この辺はメスメルの考察あたりで語ろうと思う。
話を戻して本編のラスボスである「黄金律ラダゴン」は、自身の肉体の内にエルデンリングを内包している。
そしてゲーム中で見る事が出来る黄金樹は、実体ではないってのは割と言われている話である。
黄金樹がどの角度から見ても影が無い。火がついても燃えないなど。そしてそもそもの話として言えば、死のルーンを解放して黄金樹が燃えた後でも、エルデンリングを掲げた後であるエンディングでは黄金樹はキチンと存在している。つまり黄金樹は燃えはしたが、滅んでいないのだ。
つまり何が言いたいのかと言うと。
磔にされているマリカの肉体こそが、神となったマリカと共に生まれた黄金樹ではないのか? て結論である。
還樹などで表現される様に。実は黄金樹と呼ばれるあの樹は、黄金の一族の死体からのような物を吸いだし、新たな生命として産み落とすための大きな生命のサイクルの象徴なのではないか、と思う訳だ。そしてその黄金樹の機能を司っている存在こそ、エルデンリングをその身に宿したマリカの肉体(神と共に生まれた黄金樹)なのではないか、という妄想である。
つまり妄想を吐き出すのは最高に気持ちいいって話だ。
付き合ってくれてありがとう!
我々が想像するような子作りではなかった、という話は面白いですね。
しかしそうなると、マリカがわざわざラダゴンという男性体を作り出した理由が気になりました。
性行が必要ないならマリカとレナラでも問題ないはず。
そうでないという事はやはりいくら神とはいえ男女でなければ子供は作れないのかなと思いました。
コメントありがとうございます!
言われてみると確かにそうですねw
男女でセットになってるって事に意味があるのかも…
そっち方面で考察上げてみますw